SmallSeaBook

「空間、言語、人」に関してのブログ始めました。 評論、文学での文書が主になっております。

移動すること、居つづけること

 
 
 
友人のSEKIが呟いた。
 
 
 
 
 
「おれ、昔から移動し続けてきたんだよね。1番長く住んだのは小3まで実家に住んでいた10年間くらいかな。
 その後は転々と2、3年で引っ越してきたんだよね。今までずっと移動し続けてきた。
 
 だから旅が好きなのかもね。」
 
 
この言葉の雫がこまくにそっと触れたとき。
 
 
 
俺たちの時計の秒針は回り出した。
 
 
フェリーから突き抜けてくる潮風は俺たちの全身をくまなく洗礼してくれる。
 
 
その風は暖かく、温い、島の温度。
 
 
島風の洗礼を受けた旅人は自身に本来携えていた時計の秒針の感覚が鈍くなり、遅くなる。
 
 
電動チャリから、ママチャリに乗り換えたような、ペダルを漕ぐ両の膝の感覚。
 
 
 
 
 
 
長い休日が始まる。
 
 
俺たちは自然と芸術が調和された島が瀬戸内海にあるということを昔から知っていた。
 
 
だが、いつから知っていたかは忘れていた。
 
 
 
「この休日は島に行こう。」
 
 
 
東京から京都を超え、遥か西に居を構えるこの島々に趣き、旅をする。
 
 
俺とSEKIは電話をした。この決断を行動に移すまでの時間はおおよそにして5秒。
 
 
黒のバックパックの中にはノート、サングラス、本。
 
 
それだけだった。
 
 
俺はアパートのドアを開けて、駅に向かって歩き出した。
 
 
 
 
夜、東京駅でSEKIと合流。
 
 
八重洲南口から出発する夜行バスに数時間揺られ。
 
 
高松駅から歩いて5分のところにあるフェリー乗り場に俺らは到着した。
 
 
海が見えた。
 
 
高松から豊島へのフェリー便は3時間置きにしか出ていない。
 
 
俺たちは2人分の片道チケットを購入し、フェリーに乗り込んだ。
 
 
フェリーは1Fが室内、2Fが屋外になっており、俺たちは迷いなく、2Fの階段を登っていった。
 
 
潮風を浴びるのが好きなんだ。
 
 
 
1時間後、島に上陸した。
 
 
 
豊潤な自然の景色。漆喰で塗り込められた黒い木で出来た平屋の民家。
 
 
 
「豊島を移動するなら車がいい。」
 
 
その情報を既に得ていた俺たちはレンタカーを船内で予約していた俺たちは、島へ上陸後、地図を頼りにレンタカー屋に向かった。
 
ENEOSのオレンジの看板が目印らしい。
 
港から5分ほど歩いたところで看板が見えて来た。
 
看板の真下には白い軽トラが置いてあり、よく見てみると助手席のドアに「レンタカー2500円」とペンキで塗られた軽トラだったので、向かいの事務室を尋ねてみることにした。
 
 
 
事務所の中で新聞を見ていたおっちゃんに声をかけてみた。
 
 
 
「こんにちは!レンタカーを予約していた小海なんですけれどもー!」
 
 
 
私の声に気づき、事務所から作業服を着たおっちゃんが渋い顔をして出て来た。
 
 
 
「おお。電話のあんたらか!」
 
「今ちょうどあんたらの車を点検してたら、故障しとって動かないんじゃ。すまんのぉ。客用の車は全部出してるんやけど、、、まーええや、店の車使え!ほんでにいちゃんら島に来た目的はなんじゃ?」
 
「島にある芸術を見に来ました。オススメの場所はありますか?」
 
「おーそうか。ちょっとこっち来てみい。」
 
 
 
一旦事務所に戻ったおっちゃんは机の引き出しからA4用紙の紙を取り出した。
 
 
 
「ほんならこの地図見てみい!」
 
 
 
茶色く焼けた手に握られたその紙は手書きで書かれたおっちゃん自作の地図であった。
 
その地図を指差しながら俺たちに説明してくれた。
 
 
 
「ここが豊島美術館でな、こう右に曲がってくと、クリスチャン・ルボタンスキーの作品があるんじゃ。」
 
 
 
胸ポケットからシャーペンと蛍光ペンを取り出し、慣れた手つきでおすすめルートと船の出航時間に合わせた細かなタイムスケジュールが書かれた地図を作ってくれた。
 
 
地図に赤い丸がつけられた、駐車場マークがひとつだけあった。
 
 
おっちゃんは少し困った顔をして話し出した。
 
 
「そいでな。悪いんだがここの駐車場には止めとかんでくれ。うちの競合店や。なんかいいよるからな。島は狭いところやからすぐ噂になりよる。まあ何たってあの宣伝の白い軽トラやから。俺の友達ってことで貸しよる形やからな。」
 
 
 
小さな島という共同体の片鱗を垣間見た感じがした。
 
 
 
「コレで完璧や。おっちゃんのオススメ行ってみい。」
 
地図には多くの書き込みがあった。
 
「おっちゃんすごいすね!島のこと何でも知ってるの?」
 
「当たり前やがな!わしはこの島に何十年も住んどるんじゃ。」
 
 
 
得意げな顔をしたおっちゃんは私たちに笑顔を投げた。
 
 
 
だけど、おっちゃんの目は俺たちを透かしてどこか遠くを見ているような印象だった。
 
 
 
「じゃおっちゃんのおすすめのところに行ってみるよ!」
 
「それがええ!あんたらの顔見たらどこ行きたいか、すぐわかりよるもん。任せとき!」
 
エスパーかよ、おっちゃん。島の案内人だな。」
 
「ガハー!言いよる!よう言いよる!」
 
「あんたらとは気が合いそうじゃ。そしてええ顔しとるのあんたら。帰りに話し聞かせてくれや。」
 
「ああ。そん時に!じゃまた!ありがと!」
 
 
俺たちははおっちゃんの言われた通りの道を行ってみた。
 
 
島には数十点ほどの芸術作品が点在してあった。
 
 
全てを鑑賞するには1日では足りないくらい。
 
どうせなら全部周りたいと思っていた。
 
しかし、この島に滞在する時間は多くはなかった。
 
人間てこんな時、いつもお得に生きようとする。
 
俺もしかりだ。
 
 
いつもこのような時。
 
SEKIは口癖のように俺に言う。
 
「作品はどれだけ多くの数を見るかじゃない。記憶にずっと残り続ける作品を1つ見つけることが大事なんだ。」
 
 
 
俺たちは何点かの作品を鑑賞した。
 
自分で創作した楽器を弾き、島の声と自信の音色を調和させた劇場作品。
 
人間の存在と苦悩を心臓の音に残すという選択肢を示したアーティストの作品。
 
作品と自然についてを追求した、余白がテーマの作品。
 
島の神聖な場所を作り出した。地中にある建築と作品。
 
その中でとても印象に残った作品があった。
「母形」という名前の日本人の女性が作った作品。
 
曲線を描いた白い壁、平らですべすべした石灰でできた地面。その地面に吹き出す小さな水の雫。まあるい円状にに切り抜けられた天井の壁。
 
姿を例えると雪国にある雪でできたかまくらのようなイメージ。
 
その作品の中には多分100人以上入れるスペースがある。
 
来場者たちは地面に横になり静かに水に音を聞き、ゆらゆら動くへその緒のような白い紐を見続けていた。
 
 
不思議な空間だった。
 
 
おっちゃんが勧めてくれた作品はどれもよく、なぜこの作品たちを私たちに勧めたのか、わかった気がした。
 
 
どの作品も島に寄り添い、調和されていたからだ。
 
 
俺たちはレンタカー屋に戻り、開口一番、感謝の言葉をおっちゃんに言った。
 
「おっちゃん!ただいま!作品も、タイムスケジュールも完璧だったよ!!」
 
 
「そうじゃったろ!!おっちゃんの言った通りや!あんたの顔見てわかったもん。これやって!ガハー!」
 
 
親切なおっちゃんは港まで車で送ってくれた。
 
 
帰り道。
 
 
俺はふと、助手席からおっちゃんにこう質問した。
 
 
 
 
「この島は好きですか?」
 
 
 
笑った顔でおっちゃんは語り出した。
 
「好き嫌いとかそうゆうもんじゃないけーね。  まあ向き合っていかないけんもんやなー。
 
 
わしはここで生まれ育って、親父からレンタカー屋継いで、小豆島へフェリーで小学校に通学しとったけんねー。
 
 
生まれも育ちもここで、過ごして来たからねー。もうずっとここで仕事をしとるしのぉ。」
 
 
 
おっちゃんは目にシワを寄せながら、また静かに語り出した。
 
 
 
「ワシだって羨ましいよ。
 
 
眠らない町やっけ?あんなとこ行ってワシも遊んでたいわ。
 
 
ネオンがずっと光っとるんやろ。
 
 
 
じゃけれどもわしら色々と村と向き合っていかなきゃいけんのよ。
 
 
けどなー、島のばあさん、じいさん優しかったやろ。村の人は観光客には優しいんじゃ。嬉しいんじゃ。
 
 
けど一回村に入ったらまた、印象がだいぶ変わるんじゃ。村の内側と外側ではな。そうゆうもんじゃ。
 
 
 
わしらはみんなそうなんじゃ。」
 
 
 
 
 
「わしら」と言うおっちゃんの目は遠く海を見ていた。
 
 
おっちゃんの顔を見たら分かった。
 
 
「わしら」という言葉に俺たちは含まれていなかったことを。
 
 
 
それは悲しいことではなく、はたまた嬉しいということでもない。
 
 
 
 
存在する。ということであった。
 
 
 
 
俺たちは旅人であった。おっちゃんは島人だった。
 
 
俺たちは島を見ていた。おっちゃんは海を見ていた。
 
 
俺たちは移動してきた。おっちゃんは島に居続けてきた。
 
 
俺たちは賃貸アパートのドアの外側を見続けてきた。おっちゃんは島の内側を見つづけてきた。
 
 
おっちゃんは島に根を深く降ろしていた。
それの根は覚悟の根でもあり、断念の根でもあった。
しかしその根がなければ、島は豊島でなく、初老の男性はおっちゃんではなかった。
 
 
比べて俺たちは、揺れ動くコンクリートの上でゆらゆら。
あっちにいったり、こっちにいったり、まるで海の上に浮かぶ筏のようだ。
 
 
 
そしてこのレンタカー屋で、両者は向かい合った。
 
 
 
おっちゃんの背中に背負っているもの、俺たちが背負っているものが違い過ぎていることに今、気づいた。
 
 
帰りのフェリーに乗り、遠い海の地平線を目を細めて、見る。
 
 
 
 
俺たちの故郷、十日町は目の前の地平線の先にあり、後ろを振り返れば、まあるい妊婦のお腹のように膨らんだ、おっちゃんの島が見えた。
 
 
 
「ばしゃぁぁ。。。」
 
 
 
波の音が聞こえた。
 
 
 
船台から身を乗り出して、船の下を見てみる。
 
 
 
青い海流が豊島から始まり、そのくねくね渦を巻いている海流は、地平線の先までつながっている糸のように見えた。
 
 
 
俺たちにも山に囲まれた島があることに何年振りかのように思い出した。
 
 
 
 
豊島と十日町はつながっているのかもしれない。
 
 
 
 
豊島が少しずつ、霧がかって見えなくなっていった。
 
 
 
俺たちはこれからも移動を続けるだろう。
 
 
 
できる限り。体が動く限り。
 
 
 
そして、いつか根を深く生やすのであろう。
 
 
 
 
 
おっちゃんは島を愛していた。
 
 
 
 
 
2017/5/7 22:30
 
 
 

「スマート化の未来」

 

 昨今 Apple Watch,Google Gulassなど身の回りの物がどんどんネットに繋がり、身体とスマートフォンに連動し、生活品のスマート化が盛んになってきている。近い将来,生活品すべてスマート化されるに時代になったらどんな世界になるのだろうか。

 
 
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 朝、ベットの体温調節機能により起床、時計を見て今日のスケジュールを確認し、今日の体の調子を確認。血圧を測る、今週は糖分を控えよう、体調にあった音楽が自動的に部屋に流れる、朝食を作ろうと冷蔵庫を覗く、卵がない、ワンボタン(amazonのサービス)で生卵を注文、数時間で到着、補充。朝食のレシピがわからない、「hey siri!」
面倒な朝にストレスのない1日をスタートできる。そして誰でも、なんでも、必要以上に考えず、簡単に人生を送ることが可能だ、いや当たり前になってきている。
 
 
 しかし生活がスマート化される事により、生活に工夫がなくなっていると感じる。生活の1つ1つの答えがインターネットに存在するので、生活が単一化し、多様化が行われなくなる。つまり私達は物事を自分の脳で考えず、ネットで調べることにより、生活の思考停止が起こってる。簡単に言うと、脳=networkに移り変わり、ネットが頭脳になっているのだ。
他方でスマート疲れというキーワードが流行っている。生活のスマート化に拒絶反応を起こす人間達と私は仮定する。何故スマート疲れを起こすのか。人間ははるか昔ケータイもパソコンも電子機器がない時代、自分の脳で考え、生きる為に狩りをし、作物を作り、そして火を発明し、海を渡るために羅針盤を作った。古代の人達は脳をフル活動させて生活し、工夫が当たり前の習慣だったのだ。現代でいうネットの情報がすべて自分自身の脳で、分からない事があれば自分で考える、現代と比べると脳の思考回路が全く逆であったのである。
 
 
 つまり僕が考えるにスマート疲れしている人はネットに繋がりすぎていることによる疲労。または生活品のスマート化による環境変化により脳を使えてない、もっと脳を使いたいという脳の反応、ある意味生理現象の一種なのではないのかと感じる。
 
 話は戻るが、生活すべてがスマート化された後、僕は原点回帰、「脳活」が始まるのではないかと考える。「脳活」つまりネットですべての情報が飽和状態の今、基本的な情報はすべてネットで補完できる。そこから新たにイノベイティブで多様な新しい"何か"を作り出す人間活動、または生理現象というようなものである。
 それが「脳活」である。
 
 その"何か"どうやって作るのか。答えは当たり前なのだが自分の脳を使うのだ。脳は唯一、広大なネットの海には存在しない自分の表現(意見)を作り出せる私達のコンピューターなのだ。
 

 なぜ自分の表現を作り出せると言えるのか。僕たち人間、1人として同じ人間はいないからである。それは姿形、人種、文化などのルーツから細胞、DNAに至るまで私達人間はそれぞれ全く“違う“からである。10人の20歳の青年にに夢は何かと尋ねたら、必ずそれぞれ違う夢が返ってくる、趣味は、好きな女性のタイプは、好きな食べ物は、細分化させていけば、必ず同じ考えは返ってこない、必ずだ。

 
 
 そしてそそれぞれの答えはネットには絶対存在しない。理由は上記の通りであるし、人間の脳(考え)毎秒、毎分移り変わっているからだ。
 
 
これらから脳>ネットという図式があると私は感じる。
 
 
 当たり前のことなのだが、しかしその当たり前のことができていなかったという事に今人間達は気付き始めてきているという事も事実だ。
 
 
 現在SNSの普及により、自分自身の個人データをネットに投稿する事が用意になり、当初はブームであったのだが定着化しつつある。最近ではyoutubrなる職種のものから、自作の歌や絵、映像、はたまた使い古した自慢のジーンズから革製品まで「モノ」に様々な種類の自分という"個"を投影させることが定着化している。そしてジャスティン・ビーバーなどの歌手は音楽プロデューサーの目に止まり、デビューさえしてる。この状況は単に自慢や、プロデビューしたいという意思表示ではなくもっと純粋無垢な"自己表現(アート)"なのではないか。
 
 
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ではなぜ彼らは自己表現をするのか。
 
 
私はこれを「脳活」の初期症状なのではないかと思う。
 
 
 脳活初期症状者の目標なるものは他人からどれだけ賞賛されるかが目標である。評価されるには2つの注意点がある。1つ目は他人と同じものではないこと。2つ目は必要以上にネットに頼らないことである。以前大学の論文、課題で"コピペ禁止"というキーワードを聞いたことがある人は多いはずだと思う。この意図というのは"ネットで拾ってきた情報を単純にコピーするのではなく、きちんと自分自身で情報を吟味し、自分の意見を言え."という意図がある。つまり何が言いたいかというと、この意図が現代の"自己表現"の評価されるポイントであり、ネット+自分の脳の使って考えて、他人と違うもの(工夫)をした、イノベイティブな表現しか評価されないということである。そして現実でもイノベイティブな表現しか評価されない時代が到来するのである。
 
 
このSNSでの自己表現の時代の先にある時代、それは「思考のアート化」現象である。これはSNSの世界だけではない。現実社会にも影響を及ぼすのである。思考のアート化とはなんなのか。これは単純に"よく物事を考える"ということ、そして普段脳の10%あたりのパワーしか使えてない人間が11.15.20%…と脳の使用範囲の増加、これは新たな人間の進化を意味するとも言える。
 
 
 この"脳活"の着地点である、アート化というものを考えてみよう。「アート」とは"メッセージ"なのである。すべてのアートと言えるものにはメッセージがある。アートというものは何も絵画、建物、彫刻だけではない、コミュニケーション、遊び、スピーチ、作文など人間によって考えて生み出され、メッセージがあるものこれらすべてがアートなのである。何気なく描いた落書きにもメッセージが入っている。感じる事があると思う。
 
 
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 世の中には「常識」という見えないルールがある。

 

 常識は権力者、宗教、国家、などなど、これら名前の知らない誰かが作ったものだ。皆、誰も疑わずに常識というものに従って生きている。しかし次の時代、これら常識と呼ばれるルールが壊れるのではないか。何故なら次の世代の人間たちは"よく考える"からである。コミュニケーションの方法、家族のあり方、人種差別、お金の価値、国境とは、などなど、人間一人一人が常識について考えて、自分の答えをそれぞれ人間が出すことにより答えが超多様化し、その後アート化するのである。それによって常識、普通、当たり前という境界線が無くなりすべての物事をのあり方がアート化、超多様化してきて常識がぶっ壊れ始め、答えがネットの情報のように無数に広がっていく。
 
そんな未来が待っているのである。